世界で最も広い国であるロシア。日本が45個も入るほどの面積は、世界の陸地の実に11%を占めます。
裏を返せばその分だけ多くの国と接することになり、摩擦も起きやすくなるということです。
日本とは北方領土をめぐって第二次世界大戦後から領土問題が続いていますが、同様に世界各地でも問題を抱えています。
その1つが、ウクライナとの関係です。
ロシアとウクライナは歴史的に結びつきが強く、主にロシアがウクライナを支配する構図が長く続いてきました。しかし現在のロシアの前身であるソ連が崩壊したときに、ウクライナは独立を果たします。
その後、ヨーロッパ各国との関係を深めようとしてきたウクライナとそれを快く思わなかったロシアとで何度も対立を繰り返してきました。
そして2014年にロシアがウクライナの国土の一部を取り込んだことで両国の関係は一気に緊張感が高まり、現在も一触即発の状況となっています。
そこで今回は、ロシアとウクライナが揉める原因について、歴史的な背景も交えてわかりやすく解説します。
この記事を観れば、なぜロシアとウクライナが問題になっているのか、そして日本も含めた国際社会にどのような影響があるのかまで理解できるようになりますのでぜひ最後までご覧ください。
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Contents
大国の脅威に晒されてきたウクライナ
東ヨーロッパに位置するウクライナは、ヨーロッパではロシアに次ぐ面積を誇り、ロシアを含め7カ国に接しています。
国土の大半が作物を育てやすい平原と高原に覆われているので、古くから農業が盛んな国です。
その証拠に紀元前6000年頃の東ヨーロッパ最古の農耕集落の遺跡が発見されていて、16世紀以降は「ヨーロッパの穀倉地帯」とも呼ばれてきました。
また、天然資源が豊富で重化学工業が発展したため、ソ連時代には「ソ連最大の工業地帯」ともいわれています。
ただ一方で、国土が平たんで遮るものがないため、特に東側からの異民族の侵入に弱いという側面もありました。
古代からさまざまな民族による支配を受けていてその中で混血が進んだことがウクライナが「世界一美女の多い国」といわれる理由ともなっています。
そんなウクライナとロシアとの関係は中世から始まります。
現在のウクライナの地には9世紀頃キエフ大公国というキリスト教を国教とする国が存在しました。
外敵や内紛などにより10〜15の国に分裂していったキエフ大公国は11世紀にモンゴル帝国によって滅ぼされます。
その過程で分離した北東部はモスクワ大公国となり周辺の国々を取り込んで現在のロシアの原型を形作っていきました。
一方のウクライナは、キエフ大公国の滅亡後に別の国として存続しましたが、1340年に王族が途絶えるとお隣のポーランドとリトアニアが取り合いを始めます。
そして戦いの結果北部・中部はリトアニア、西部はポーランドにそれぞれ支配されることになりました。
それ以後、分裂したウクライナの諸勢力はリトアニアやポーランドの臣下としてロシアとの戦争に参加することになるのです。
一風変わった勢力のコサックとは
その勢力の1つに、コサックと呼ばれる人たちがいます。
ウクライナに勢力を築いたコサックたちは高い軍事力を持つ共同体となりどこの国からも支配を受けませんでした。
つまり臣下なのに独立を保っているという、一風変わった勢力だったのです。
関係の深いポーランドやリトアニアに雇われ多くの戦争に協力しましたが、気に食わない時はすぐに反乱を起こします。
これを危険視したポーランドから弾圧を受けると、コサックはロシアの協力を得て、ポーランドから独立するために戦争を始めました。
この戦争に勝利したことでウクライナに独立国を作るのですが協力を逆手に取ったロシアに付け込まれ、結局支配されてしまいます。
その結果、ロシアが勝手にポーランドと話を進め、ウクライナの分割を決めてしまうのです。
隣国に分割され続けるウクライナ
結局、ロシアとポーランドの国際条約により、ウクライナはドニエプル川という南北を通る川を軸に3つの地域に分裂します。
川の西側はリトアニアとポーランドが、東側と下流地域はロシアがそれぞれ統治する形となりました。
その後、国力が衰えたポーランドがヨーロッパの国々によって分割されると、西側もロシアが手に入れます。
さらにロシアは下流地域のさらに南側、黒海へ突き出たクリミア半島を併合し18世紀末にはウクライナのほとんどを支配下に置きました。
ロシアはウクライナを保護国として扱いつつも徐々に自治権を奪い、ロシアの文化を強要するようになっていきます。
例えばウクライナ語はロシア語の方言として扱われるようになり、ウクライナ語の書物の出版や流通が禁止されます。
また、雇われ兵士として各国で活躍していたコサックはロシア軍に編入され、日本とロシアとの戦争にも参加しています。
そんなウクライナに、絶好のチャンスが訪れます。
第一次大戦の末期にロシア国内で起こった革命によって、約200年続いたロシア帝国が崩壊するのです。
ウクライナの諸勢力は一致団結して混乱するロシアに対抗し、ウクライナ人民共和国として独立を宣言しました。
しかし、様々な国の軍隊が首を突っ込む大混乱の中でロシアの革命政府軍に破れてしまい、後に成立するソビエト連邦の支配下に入ってしまいます。
ソ連は当初ウクライナを優遇しましたが、政権内の反発によって弾圧政策へと転換…ウクライナで多くの政治家、知識人、文化人が逮捕されました。
強引な政策により失われたもの
また、工業や農業で強引な政策が進められたことで、ウクライナの伝統的な生活様式と多くの文化財も失われることになります。
こういった政策は穀物生産量の激減にもつながり、2度にわたる大飢饉により400万~1000万人が亡くなったといわれています。
さらに追い打ちをかけるように、第二次世界大戦が勃発。
ドイツとソ連との戦いの激戦地となったウクライナでは、当時の人口のおよそ2割に及ぶ800〜1400万人もの被害者が出ました。
大戦後、新たに結成された国際連合の加盟国となりましたが「ソ連の一部」という扱いから脱することはできませんでした。
しかし、1991年にソ連が崩壊すると同年の夏にウクライナはソ連からの独立を宣言します。
12月には、ソ連の後を継いだロシア政府がついにこれを承認しようやく晴れて国際社会でも独立国として認められたのです。
渦中のクリミア
しかし、これで両国の関係は一件落着、とはいきませんでした。
ウクライナの独立後も、ロシアとの緊張関係が続きます。
ウクライナは東西が分裂して違う国に支配された時代が長かったので、それぞれ異なる事情を抱えていたことがその理由でした。
東部はロシアとの関係が非常に深く、ロシア人も多く住み、文化や宗教もロシア寄りです。
一方で西部は、かつてポーランド領だったためにヨーロッパとの繋がりが強く、西ヨーロッパから移住してきた人も多く住んでいました。
そのため、一つの国として独立していると言っても西部と東部の間には対立の火種が残ったままだったのです。
その火種がついに爆発したのが、2014年に起きた反政府運動です。
それまでのウクライナは深刻な経済不況に悩まされ、2000年代はヨーロッパと経済的に協力しようとしていました。
ですが、2010年に選挙で選ばれたロシア寄りの大統領は、経済的に依存していたロシアに配慮し、ヨーロッパとの協定を先送りにしてしまいます。
ロシアから「ヨーロッパと手を組んだら友好条約を破棄するぞ」と圧力を受けていたことも原因でしょう。
しかしこれに対して、ヨーロッパ寄りである西ウクライナの国民が激怒します。
ヨーロッパとの協定締結や、大統領選挙の実施を求めて大規模な反政府デモを起こしました。
ウクライナ政府とロシアが協力してデモを抑え込もうとしましたが、収まるどころかデモ隊と治安部隊の激しい衝突に発展します。
結局、大統領はその座を追われ、新しい政権が発足することとなりました。
ところが今度は、ウクライナの南端にあるクリミア半島で親ロシア派の反乱が起き、数日で議会や空軍基地、空港などが占拠される事態となります。
もともとクリミア半島は18世紀後半からロシアの領土で、住民のほとんどがロシア人という地域です。
第二次世界大戦ではドイツとの激戦地にもなり、クリミアのケルチという街はロシアの”英雄都市”という最上級の称号も得ていました。
このように、ロシアにとってクリミア半島は歴史上大切な土地なのです。
しかし1954年に、当時のソ連首相がロシアとウクライナの統合300周年の記念として、クリミアをウクライナに贈ります。
と言ってもソ連の中での所属替えに過ぎないので、結局はロシアのものに変わりありません。
ところがソ連の崩壊によってウクライナが独立すると、クリミア半島ごとロシアの手から離れてしまいます。
このような経緯から、クリミア内でもロシアに戻りたいという住民は少なくありませんでした。
また、ロシアにとっても黒海に突き出ているクリミア半島は、海軍拠点として非常に重要な意味を持っていました。
なぜならロシアにとって貴重な「冬でも凍らない港」の一つだからです。
ウクライナがヨーロッパと手を組むことで、ロシアにとって大切なこの場所を敵対勢力に取られてしまうとしたら黙っていられないというわけですね。
そこでロシアはクリミア半島で起きた反乱に乗じてロシア系住民の保護を口実に軍を投入し、実質的にクリミアを完全支配します。
そしてクリミアでロシアに加わるかどうかを決める住民投票が実施されると、なんと96%を超える賛成で可決したと発表されるのです。
翌日にはクリミアの独立とロシアへの編入が宣言され、あっという間にロシアへと組み込まれてしまいます。
この強引な展開に、当然他の国は猛反発します。
ウクライナは憲法違反だと主張し、ロシアによる不法な占領を国際社会に訴えて争い始めました。
なぜならウクライナの法律では、領土に関する投票を一部の地域で行ってはならず、また国際法でも外国軍の占領下では投票をしてはいけないからです。
欧米諸国や日本もまた、クリミアで起きた反乱や投票の結果はロシアの差し金であると疑い、経済制裁を発動します。
これに対抗するロシアも経済制裁をやり返しロシア 対 他の先進国という対立にまで大きくなっていきました。
また、ロシア系住民が多いウクライナ東部でも新たな反乱が発生し、ウクライナ政府軍との泥沼の争いに発展します。
2015年にドイツとフランスの仲介で停戦協定が結ばれても、この争いは止まらず、現在まで緊張状態が続いてきたわけです。
そして2021年末からロシアとウクライナの国境に10万人規模のロシア軍が集結したことで「冷戦以来の危機」と呼ばれるほどに状況が緊迫しました。
そのロシア軍はベラルーシと合同の軍事訓練を行うことで脅しを掛け始め、これを受けた各国は戦争の危険が高まったと捉えています。
そこでウクライナにいる日本人を含めた外国人に、各国政府から退避勧告が出されました。
これは「すぐにウクライナから出るように!」という最高レベルの危険を意味します。
世界では「このままロシアの侵攻が始まるのでは?」と不安の声が高まっているのですが、一方でロシアの狙いは他にあるという指摘も出ています。
それは何かというと、ヨーロッパと北米が結んでいる「軍事同盟NATOの拡大を阻止すること」です。
実は、NATOはロシアを取り囲むように拡大してきた経緯があり、これはロシアから見ると非常に怖い状況でした。
そこにウクライナが新たに加盟しようとしているのですが、そうするとロシアは巨大な軍事同盟と国境を接することになるのです。
実際にロシアは「ウクライナの加盟を認めない」と言っており、NATOの拡大をかなり警戒していることが分かります。
欧米を中心とするNATOとロシアの間で、互いに軍事や経済制裁で脅し合う状況となっていますが、今後どうなるかはまだ分かりません。
しかし、日本もウクライナと友好関係を持ち、経済への影響も発生するので、他人事でないことは確かです。
いま世界が今抱えている問題について、ぜひあなたの意見をコメントで教えてください。自分はロシア派なのか、ウクライナ派なのか?そんなことを考えるだけでも学びになると思います。
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ということで、今回は以上です(^^)/