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渋沢栄一とは何をした人なのか?わかりやすく説明します。

新紙幣が発表になりましたね。紙幣の刷新は実に20年ぶりになります。

お札の発行自体は令和6年(2024年)からスタートを予定しています。

今回、新紙幣の肖像画として一万円札が渋沢栄一、五千円札が津田梅子、千円札は北里柴三郎となることが決まっています。

名前は聞いたことがある気がするけど、何をした人なのかはわからない…という方も多いかと思います。

今回の記事では、一万円札に描かれる”渋沢栄一”が何をした人なのかを説明していきます。

動画でもわかりやすく説明しています。

Contents

どういう人が紙幣の肖像画に選ばれるの?

お札のデザインは、通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の三者で協議し、最終的には財務大臣が決めることになっています。

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お札の肖像の選び方として国立印刷局は下記のようにコメントしています。

  • 日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること。
  • 偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること。
  • このことから、現在のお札の肖像は、明治以降に活躍した文化人の中から選ばれている。

ちなみに、お札のデザインに肖像が描かれているのは人の顔や表情のわずかな違いにも気がつくという人間の目の特性を利用しているとのことで、偽造対策ということですね。

渋沢栄一とは?

渋沢栄一の概要についてです。

1840年3月16日生まれ~1931年11月11日(満91歳没)

武蔵国榛沢郡血洗島村(むさしのくに はんざわぐん ちあらいじまむら)というところで生まれました。これは現在の埼玉県深谷市になります。

官僚から実業家へ転身し、約500の会社に関わり、同時に約600の社会公共事業にも関りました。

渋沢栄一 経歴

渋沢栄一の経歴について、わかりやすく説明していきますね。

豪農時代 @埼玉県深谷市

渋沢家は藍玉と言われる染料の製造販売をしておりました。染料は運びづらいので玉のように丸めて運んでいたわけですね。

他にも、養蚕も手掛けたり、米、麦、野菜の生産も行う豪農でした。豪農というのは、多くの土地を所有し、権力もある”富裕農家”という感じですね。

幕臣時代 @フランス

故郷を離れた渋沢栄一は、知人の勧めで、一橋慶喜に仕えることになりました。

そこで「お~頑張ってるじゃねぇか。」と、かなり認められたんですね。

一橋慶喜というのは後に、15代将軍の徳川慶喜となります。

ですので、渋沢栄一も幕臣になるというわけです。

その時に、幕臣として、パリの万国博覧会を中心にヨーロッパ諸国を視察しています。

帰国 @静岡

帰国した渋沢栄一は、フランスで学んだ株式会社制度を実践するために、静岡に「商法会所」をつくります。

これは今の銀行と商社の業務を行うような組織で、日本で初めての株式会社ともいわれています。

そいういった活動が目に留まり、今度は大蔵省からお声がかかります。

大蔵省時代

大蔵省に入り官僚として活動します。

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国のためにと、財政改革・金融改革に取組み、明治初期の税制や貨幣など国家財政の基盤を整えていきました。

しかし、外務省と大蔵省との予算編成の問題から、大蔵省を退くことになります。

実業界へ

まず最初に、日本最初の銀行となる第一国立銀行(現在のみずほ銀行) を設立しました。

渋沢栄一はみずほ銀行に限らず、全ての日本の銀行にとって原点とも言える人物というわけです。

他にも、東京商工会議所や東京証券取引所の前身を設立しました。

さらに、三井銀行、王子製紙、日本赤十字社、帝国ホテル、日本郵船、東京ガス、東京電力、キリンビール、サッポロビール、東京海上などなど…約500社の企業を設立し、発展に貢献してきたのです。驚きですよね。

これが「日本資本主義の父」と言われるゆえんなわけです。

関連している企業や団体を確認したい方は「渋沢栄一 記念財団のHP」から確認できます。

実業界だけではなく…

渋沢栄一は商業教育にも力を入れており、一橋大学の前身である”商法講習所”の開校に尽力しました。

商法講習所の設立には渋沢栄一のほか、福沢諭吉や勝海舟なども参加し、その人たちには「見識と知識を備えた実業人を養成することが急務である」という点で同じ想いがあったわけです。

その後も東京経済大学や、日本女子大学の創立に関わるなど教育界にも大きな影響を与えている人物です。

また、70歳で実業界から引退しますが、その後も社会公共事業や国際親善などの分野で活躍されました。

一貫した考え方

日本経済や資本主義の発展に大きな功績を残した渋沢栄一が唱え続けたのが「道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)」です。

これは、「企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない」というものです。

今の世の中で叫ばれているCSRやコンプライアンスといった事を、何十年も前から必要だと説いていたということですね。

まとめ

渋沢栄一について調べてみると、日本への貢献度合いというのがものすごい事がわかりますよね。

日本経済があるのも渋沢栄一の貢献が大きいですし、ノーベル賞に推薦されていたという事も頷けます。

今回、一万円札の肖像となりますが、福沢諭吉から渋沢栄一になるというのは何か二人を繋ぐものがあってロマンチックでもありますね。

今回の記事は以上になります(^^)

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